今考えると若干調子乗ってるのかもしれないけど〝美容師としての先を考えて飽きてしまった、やる気が起きなかった〟っていうのが1番の理由だったかもしれない。
10年で美容師のなにがわかるんだよ!
人にはそれぞれ適正があるっていうことかな。
そんな感じで当時の僕は『美容師の他に、収入の柱をつくるぞ!』と決意し始めたwebデザインの仕事やアフィリエイトが、いい感じに軌道に乗ったので、いろんな経営者さんに会いまくった。
ホームページをつくって、そこからブログやweb予約、EC販売ができるシステムをTo B(いわゆる一般消費者ではなくて、ビジネスをしてる人向けのビジネス)で販売していたので、美容室だけではなくて車の板金屋さん、英会話教室、飲食店などと色々お手伝いさせていただいた。チラシや名刺なんかのアナログ販促物もつくって、それなりに当時は稼ぐことができた。
もちろん本業である美容師もめちゃくちゃ忙しかったので、毎朝朝7時に家をでて夜12時に帰ってくる生活。
幸い休みは月8回はもらっていたので、講習なんかで出ていく日をぬいても割とwebデザインやサイト作成の勉強時間、クライアントさんに会う時間は確保できた。
そんな毎日を過ごしているとある日、僕がすごく慕っていた美容師さんから急に連絡があり、こんなメッセージをいただいた。
「岩田君に会わせたい人がいるんだけど、空いてる日ない?」
この一言が運命の出会いになるのでした。
今の会社との出会い、転職
会わせたい人がいると誘ってくださった美容師さんは、豊中で美容室を経営されてる美容師さんで、考え方やスタンス、行動力、物腰の柔らかさが素晴らしくて、すごく尊敬している人だった。そんな方からお誘いを受けたので、僕はふたつ返事で『○○日空いてます!』と予定をとりつけた。
どうやら僕が作ってるホームページ(ブログサイト)に興味があるという美容室経営者さんらしく、その方に繋いでくれるということだった。どうやら関西でも割と有名な美容室チェーン店のフランチャイズオーナーさんらしく、いままでにない大きな案件になるぞと気合が十分だった。
待ち合わせ当日。ある喫茶店に呼ばれた僕は、用意したホームページの構成、料金プラン表、オプションなんかをきっちりと冊子にして持ち込んだ。
眉の吊り上がった強面のオーナーさんは、あまり話も聞いてない様子でフンフンと頷くだけだったので、説明しながらも内心の焦りはあった。ただ僕は妙に上手くいく自信もあったので意気揚々とプレゼンを終えた。すると、それを聞き終わったオーナーさんは急に眼を見開いて食い気味に僕にこう言った。
「岩田君さぁ、美容師?」
「はい、美容師です。」
「さっきから説明聞いてたけどさあ、美容師ちゃうやん」
「え、あ、はぁ...(ホンマに聞いてたんかい)でも一応美容師目線でサイトを設計できるのが僕の売りでして...」
「うちで働いたらいいねん」
「ファッ!?」
「うち知ってるかわからんけど、関西で○○店舗ある割と大きめの美容室やねん。ほんで親会社が横浜にあってな、上場してる企業やから割と規模があるねんな」
「あ、はい...存じてます(一応調べてきた)」
「でな、岩田君がやってる今のこの仕事さあ。たしかに凄いし、これから絶対需要も伸びると思う。けど、webの業界って結構スピードも速いし、どんどんすごい人も増えていくよね、きっと。」
「...まぁ、たしかにそうですね...」
「岩田君はさぁ、その〝美容師目線〟っていうのを売りにしたいんやろ?そしてらな、うちで働いて経験もっと積んだら、もっと成長できるしええと思うけどな。」
思ってもみないオファーにびっくりした。
そんな中で、バックが大きな美容室で働いて経験を積めるというのは、魅力的な話ではあった。オーナーさんは更にこう言った。
「うちの会社な、最近ちょうどめっちゃくちゃ優秀なweb関連の人が親会社にきてな、改革おこしていってるねん。やばいで。その人にも1回会わせてあげるから、今度うちの店来たらええねん。ちょうど〇〇日に講習会あるから」
「え...いいんですか?」
「うん。やっぱりフリーでやっていくより、大手でいろんな経験積んで、いろんなスキル磨いていったほうがええと思うよ。ほんでちょうど俺、4か月後に新しく店OPENするねん」
「え、そうなんですか」
「そこで岩田君のしたいweb集客とか、マーケとか、いろんなことやってくれたらいい。その代わり...」
「その代わり??」
「給料は20万な!!!」
「.......に、20万ですか」
「うん、20万。これ以上は悪いけど出せん。もう美容師はせぇへんのやろ?」
「はい、ハサミは置くつもりでいます」
「なら美容師はせんでいいから、新店舗のレセプションとして普段は業務してくれたらいい。その合間にネット関連とかそのへんは全部権限わたすし、好きにしてくれたらええから」
「....はぁ」
「俺の新店でまず結果だして、どんどん出世していけばええねん。絶対その方がええで」
迷った。正直すごく迷った。子会社といえど、上場企業の親会社をもつ大型チェーン店。
そんな大手で働いて経験を積めるというのは、何にも代えがたい好条件ではあったけど、さすがに収入を半分以下に落として転職するとなると、妻と娘もいる僕にはハードルは高かった。
いや、でもアフィリエイトの収入だけでも毎月数万円ある。仮に会社員として専念しても、これをなんとか2,3倍にまで頑張ってもっていけば、なんとかいける、か...?いやでもそんなに時間がとれるか...?
色々と頭を駆け巡ったが、結局その日はもちろん結論は出さずに解散となった。
変わる環境と自らのスタンス
そこから数週間、悩みに悩んだ。
正直もっと高額で『うちの会社においでよ』と言ってくださる方も数名いたので、決断しきれなかった。金銭的なものだけで言えば、もっと良い待遇も選択肢としてはある。けど、そこで得られる経験や人と出会う人数、将来性で考えると、どうなのか...。
ただ僕にはこんな考えもあった。
結局はどの会社で働くことになろうが『自分の行動力次第でなんとでもなる!』っていう自信。
根拠のない自信かもしれないけど、少なくともこれまで自己投資して自分で道を切り開いてきた経験。もちろん環境の要因は大きいけど、自分はどの選択肢をとれば一番成長できるのか?と考えるよりも、
自分が結局どう働くつもりなのか?
と自問自答を繰り返して得た答えが、最終決断のきっかけになった。
大手であっても、給料は初任給程度。そこで頑張ったとて、明確に収入が上がっていく保証もなにもない。ましてやプレイヤーではないので、今まで培った美容師としての技術や接客は何の意味も成さない。
それでも...俺は、やれる。はず。
やろう。やってみよう。
こうして色々と考えた末に、今の会社に入社することが決まった。
今までの美容師としての現場経験や感覚は、ほぼ封印した。
1から全力で、やるからには自分のすべてを賭けようと、もっていた広告サイトをすべてクローズしてアフィリエイト収入をゼロにした。
クライアントさんとの業務も、保守料もすべてリセット。webデザインの営業に使っていた窓口も全部クローズ。
ほぼ裸一貫(古い)で飛び込んだのが、2015年9月。
そのチャレンジさせてくれたのが、今の会社ニューヨーク・ニューヨークだった。
人はどこで働くかじゃない、どう働くかだと思う。
散々どこの会社で働くか?フリーでやるか!?と迷っていた僕が、今でも強く感じていることだ。
NYNYは(いま社員として自分でいうのも何だが)すごい会社だ。とてもいい会社。
そんな素晴らしい環境ですら、こう思う。
『結局は自分がどう働くスタンスなのか?で得られるものは大きく変わる』
僕は今はまだこの会社の役員でも何でもないけど、常に考えているのは
〝自分がこの会社をどうしていくか?〟だけ。
会社にどうこうしてもらおうとは考えてないし、自分がこの会社をつくっていく(一員であると)自負しているし、義務感と責任感もある。僕がいなくなったらこのグループは相当な痛手になるだろうと常に本気で思ってる。
確かに環境の要因は大きい。僕がいまこのスタンスでいられるのも、環境のおかげなのは間違いない。けど、それ以上に
〝自分がどう働くか?〟に責任を持つことが大事なんだと思う。
かつてリクルートという会社で問題がおき、会社が絶体絶命のピンチになったことがある。
今ではこんなに大きくて有名な会社が、立て直せたのは理由がある。
その時の役員が言ったという言葉がすごく印象的だ。
「リクルート事件があった当時、明日にも会社が潰れそうな状況で俺たちが採用したかったヤツは『どの企業でも活躍できるエリート学生』とか『前職で優秀だった人』なんかじゃない。明日潰れるかもしれないリクルートという会社で、会社を潰さないために一生懸命努力できる人間だ。そういうスタンスの人間が、今まさに社会でも活躍している。」
僕がもしこのスタンスではなく、全力でNYNYという会社にすがり」いろんな経験をさせてほしい!」と頼り切っていたら、今のポジションや仕事はなかったと思う。
(いや、それなりにはいけたかもしれん笑)
こう思いながら、いまも頑張って働いている。
0コメント