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【禅修行記2】徹底的に自分を俯瞰して見る坐禅を通して感じたこと



さてお寺での生活なんですが、
当然ですが規律がしっかりしていて生活のリズムが非常に整った毎日でした。

まぁ皆そうだと思いますが、こんな仕事をしていると生活のリズムなんて普段無いようなものなので、たまには強制的に正されるのも良いものです。
休みの日こそダラダラしちゃいますからね...




スケジュールをご紹介します。



5:20 開静(起床) 、洗面
5:40 八段錦(太極拳)
6:00 坐禅(25分×2)
7:00 朝課(読経)
7:20 日天掃除
7:50 粥座(朝食)、小休憩
9:00 作務(畑仕事等)
11:30 片付け、小坐禅
12:00 斎座(昼食)
12:40 自由時間
16:45 坐禅
17:00 薬石(夕食)
18:10 法話
18:45 小坐禅、仏教聖典拝読
19:00 坐禅(25×3)
20:40 茶礼
22:00 開沈(就寝)



これが毎日といった感じ。
坐禅の時間はもちろん、食事でさえも修行なので、一連の動作に基づいて作法をこなし、一切の音もたてられません。
(これが結構キツイ!)
衣擦れの音や鼻をすする事も一切許されないので、花粉症の僕にとってはそこそこな苦行ww

禅堂での坐禅はこんな感じですね。


修行中は当然スマホをほぼ断っていましたので、自由時間に一瞬だけ撮ってもらいましたww


坐禅というのは今流行のマインドフルネスと若干の違いはありますが、とにかく“無”になる自分に持っていく、という事をします。が、今回教わった仏教の教えでは、逆にこの坐禅で『目覚める』という感覚だそうです。
 

人間は日々、色んな“刺激の波”の中で生きていて、その刺激によって喜んだり、悲しんだり、その感情ですらも人によって異なりますよね?
同じ夕陽を見ても感動する人と、そうでない人がいて、感情は千差万別なのに夕陽というものはただそこに“ある”だけ。

カラスが『カー!』と鳴いて、
『うわ!カラスきも!』と思う人もいれば何も感じない人もいる。
でも『カー!』という音はただそこにあるだけで、その刺激を認知して感情が動く波にのって毎日すごしてます。


簡単に言えば、
その刺激の波なんて人によってバラバラで違うなら、そもそも確実に“ある”ものとは言えないよねー
それは自分が勝手に作り出した不確かな夢みたいなモンだよねー


って事ですかね。
その波はいわば夢を見ているようなものであって、その夢から目覚めるのが坐禅






まー僕も理解が浅いので、こうやって文章にすると中々難しいですが、結構しっくりとくる考え方でした。


この話を聞いて思い出したのが、
フランスの哲学者デカルトの『割れ思う故に我あり』という言葉です。

何となく聞いたことがある人もいると思いますが、
全てのものが『これホンマに存在するん?』って疑問を持ち考えまくったら、結局最後行き着いたのが『こうやってモノを考えてる自分だけは、どう頑張っても疑えずに存在してるやん...』という理屈。
(違ってたらスミマセンww賢い人指摘ください)


そーやって行き着いた先にいる“自分”ってゆーものに執着しすぎると、結局いろんな感情や刺激の波にさらされて面倒くさいやん。

もっとそれすらも俯瞰して見てみたら、全部夢みたいなもんやでー


って事を教わったんですね。


めちゃ分かりやすく例えると、
映画『マトリックス』みたいなものかな、と個人的には感じました。
(マトリックス好きな人は結構ピンとくると思う)
とにかくそうやって、まずは自分というものについて色々と考えさせられる修行期間でした。
別に仏教の教えに目覚めたってわけでは全然ないんですが、知らない知識を身をもって体感するという機会はとても良い経験になりましたネ。


次回はこの考えをもとに普段の生活でどう当とてはめられるのか?など、僕が感じてることをボチボチ書いていこうと思います。

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