『TPOを考えて〇〇しよう』って私たちはよく言いますが、そもそもTPOって何なんでしょうか??
僕はこのTPOっていう言葉の意味を〝常識〟という言葉と勘違いして使っている人が多いのでは無いかと思うんです。
TPO=常識という意味ではない
言葉というのは大衆が認識する意味によって、本来の意味から変化していくことは当然あると思うんですが、
一応ウィキペディアにはこんな意味が書いてあります。
Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合。Opportunityと使われることもある)の頭文字をとって、「時と場所、場合に応じた方法・態度・服装等の使い分け」を意味する和製英語。
『時と場所と場合を考えろよー』ってよく言うと思うんですが、考えてどうしたら良いのでしょうか??
考えた末に、日本人特有の〝共通の価値観〟つまり『常識に合わせなさい』という意味なのでしょうか?
本来のTPOは『考えて使い分ける』ことが目的としてありますが、
『常識に合わせよう』という意味ではなく、
『目的に合わせよう』というのが本当に必要な解釈ではないでしょうか?
例えば服装なんてものは、常識に合わせるのではなくて目的に合わせるべきなんです。
〝誰にどう思われたいか〟
〝誰にどんな印象を与えたいか〟
が目的であれば、それが本来のTPOを考える事につながるんです。
『常識』という言葉は思考ストップの原因
僕は常識という言葉を使いません。
常識という言葉は人間の思考をストップさせると思っているからです。
『一般論だから』
『当たり前だから』
『これが普通だから』
『昔からそうだから』
『皆そうしてるから』
これらはモノや事の意味や目的、今の状況を考えずに〝思考がストップした状態〟で発言する時の言葉です。マナーとも少し違います。
この考え方では人は前に進めませんし、新しいものを何も産みません。イノベーションなんて以ての外です。
誰かの常識は、誰かの非常識。
人の価値観を自分の価値観で上書きすることができないように、自分が思う常識を押し付けることはできません。
自分が常識だと思っていることは、実は自分の周りのコミュニティに存在する価値観なだけであって、違うコミュニティに属すれば常識ではありません。
なので常識というのは『自分が信じるもの』なんです。
自分が信じるもの、例えば宗教なんかを否定することはできませんよね?
皆信じるものは自由だし、相手と自分の信じるものが違っても(少なくとも日本人は)特に問題は感じません。
だから常識という言葉は、これも目的に応じるという意味で使うべきだと思います。
非常識な人が嫌われるのは目的を外しているから
『あの人は非常識だ』
『あの人は常識をわきまえない』
この言葉を本当の意味に置き換えると
『あの人は私からどんな印象を受けてるか?を無視している』
『あの人はこのコミュニティに集まる人たちがどう思うか?考えていない』
こうなります。
相手がどう思うか?を無視して、自分の思うがままに生きている人が、非常識とされるんです。
相手によく思われたい、相手から良い印象を受けたいと思っていて、その行動を選択しているのであれば、それは残念ですが...
でも、
相手にどう思われても良い、あえて反対の印象に受け取られても良い、と考えて行動を選択しているのであれば、それは非常識ではなくて〝目的の違い〟であると言えます。
目的がそもそも違うので、それを非常識だなんだのと否定する余地はなく、その人の選択肢として受け入れるしかないのだと思います。
常識という言葉を振りかざすのではなく、その目的はどうなのか?を相手と話して、お互いの理解を深めるべきなのかもしれませんね。
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