物事をナナメ上から見たり考えたり発案をしようと思ったら、普段から僕は〝疑問を持つクセ〟をつけるようにしています。
この〝疑問を持つクセ〟のおかげで、既存の考えにとらわれないチャレンジを思い付くことができます。
思いつきさえすれば、あとは行動するのみです。
疑問を持つ事は〝作り手になる〟という事
『いまそこに在るものは、なぜ存在してるのか?』
こう表現すると哲学のようでカタい考えになってしまいますが、僕はどうしてもこの興味が尽きません。
例えば組織をまとめたり、円滑化や効率化を図ったりするために『ルール』というものが存在します。
日本人は特に〝ルールは守るもの〟という精神が強いと言われるそうですが、
昔から何事も主導権を握るのは〝ルールは作るもの〟と捉えてチャレンジしてきた側です。
ルールを守るべき立場でモノを考えるなら、今ある決め事の範囲内でしか行動ができませんが、
ルールを作るべき立場でモノを考えるなら、目的を達成するために有利なルールを柔軟に発想することができます。
いま在るルールは誰の何のためにどう有利なルールなのか?
良かれと思って先人が作ったルールは、いまこの現代に本当に適正なルールなのか?
守りではなく攻めに転じるためには、ルールは常に更新していくのが当たり前という考えでいないと、人も組織も発展はしないと思います。
そのためにいま在るルールに疑問を持つことが必要なんです。
何も考えずにルールに乗っかるのが実は1番楽で、作る側がいつも体力がいるし、キツイんです。
だから大衆はルールに疑問を〝持ちたがらない〟のだと思います。
ですがキツイ分、色んな意味で利益を得られるのはルールを作る側であるのは間違いありません。
大衆の考えからひとつ頭抜けて、物事を企画したり動かしたりしたいなら、まずは既存のルールに〝疑問をもつこと〟から始めてみてはどうでしょうか。
闇雲にルールを表面的にとらえて否定するわけではなく、本質がつかめる訓練をしていきましょう。
0コメント