▶︎禅修行記1
▶︎禅修行記2
▶︎禅修行記3
宝泉寺での修行期間中、ゆっくりとモノを考える時間があったので、色々と自分の中で消化できたものの1つに『人間関係』があります。
僕は今まで人間関係があまり良くない人っていないんですが(自分だけがそう思ってるだけなのか笑)、世の中では現在の退職理由のほとんどとして人間関係が挙げられますよね。
まぁ理由はわかるんですが、ぼくは猛烈に『この人とは合わない』と思う人はイコール“自分の価値観を広げてくれる人”だと思ってます。
自分と価値観や考え方が違うということは、その範囲外のものを持っているという事なので、ある意味成長できると考えます。
相手と価値観が合わないのは、僕が考えるに3つのパターンがあります。
①【未熟型】
相手が子供みたいな考え方をしている場合。自分もそのように考えた子供な時期があったが、乗り越えて成長したパターン
②【未来型】
相手が大人な考え方の場合。自分が未熟すぎてどうも感情が先行し、納得できないパターン。
③【ぶっとび型】
相手が思いもよらない程すごい角度から攻めてくる考え方の場合。自分の中の経験や常識では測れないので、理解できないパターン。
俗に言う“価値観が合わない人”って、だいたいこの3つに当てはまるのではないでしょうか?
こうやって3つにまとめてみると、
『あれあれ?』っと自分で気付いたことがあったんですが、何だかわかりますか??
人間関係はすべて『自分の心の在り方』
この3つのパターンはそれぞれ、観測点が『自分』だという事にすぎないことを気付きました。
だから、自分自身が見えていない人程、相手との関係性や状況を理解できていない。
人の心の成長って、自分の意識や価値観で『拒絶・否定している影の部分』を知る事。それを新しい自分として受け入れることだったり、もともと存在していた自分だと気づく事だったりするんですね。
そんな自分の勝手なイメージを、結局は相手に投影して見ている。
Aさんから見た自分と、Bさんから見た自分はそれぞれ違うイメージがあっても、どちらも自分であることには変わりありません。
人が作り上げるイメージの分だけ、人は存在すると思ったら、人との関係性って自分の心次第でどうとでも変化すると思いませんか??
ここに気づかない限りは、いつまで経っても人間関係というのは良くなりません。
変わるのは相手ではなく、常に自分の心の持ちようなんですよね...
とまぁそんな事を考えながら、寺で過ごした四日間。
宝泉寺の中庭を眺めながら、じっくり本を読んだり考えたりする時間はとても良かったです。
やっぱり日常生活を送っていると、他に刺激が多すぎて1つの事を考えるのに集中できません。
余計な刺激を全部取り除いて、考えを巡らせる時間をつくることが『自分と向き合う』とか『自分を見つめ直す』ってことかもしれないのかな、と。
充実した修行期間でした。
↑今見ると顔こわいなww
心は穏やかだったんですけどね。
また機会があれば行きたいなー
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